Craftsman Interview #2

お客様が望んでいる“以上”のものを

永田みどり

最初から最後までを自分の手で作りたい

─────最初に、陶芸の道に進まれた経緯を教えて下さい。

小さい時から絵を描くのが好きで、高校では美術系の学校で絵を学んでいました。絵はいつでも描けるから違うものをやってみたくなった、ということと、高3の時に進学情報の本をパラパラとめくっていた時に、陶芸の専門学校を見つけて「こういう世界もあるんだな」と興味を持ったのがきっかけです。
陶芸のことは何も知らなかったけれど、幼稚園や小学校で粘土を使っていろいろ作るのが楽しかったので、「土で何かを作る」という素材そのものへの興味から、ごく自然にこの道に入りました。二次元で対象を捉える人もいますが、私は三次元でどの面からでも立体的に捉えるのがわりと得意だったんです。

─────専門学校のカリキュラムはどういうものでしたか?

学校は川の土手沿いにあって、山羊や犬がいたり、というのんびりとした恵まれた環境で、チャイムも鳴りません。一年生のうちは先生が土の練り方とか芯の出し方とか基礎を教えてくれて、だいたいある程度できるようになったら課題が出るので、それを朝から夕方まで毎日作っては壊して、時には学校に泊まって窯を焚いたり。
大学というよりも産地の指導所みたいなところに近い感じで、濃い時間を過ごしました。
同級生は現役が少なくて、社会人を数年経験してから入ってくる年上の人が多かったですね。旦那さんや一生の友だちともそこで出会えました。
専門学校を卒業後、茨城県の笠間という焼き物の産地に就職しました。天井の低い穴蔵のようなところで朝から晩まで同じものを延々と作り続ける仕事でした。うちの父が私の仕事ぶりを初めて見に来た時に「かわいそうで写真が撮れなかった」と言ったくらい(笑)。20年くらい前で最初の日給が3,800円でした。
学校で丁寧に作るやり方を教えてもらってから量産の世界に入ったのは順番としてよかったんじゃないかと思います。笠間にいたのは一年半くらいです。

─────それから個人事務所へ行かれたんですね。

陶芸は個人で続けつつ、週に3~4日はデザイン(主に彫刻)事務所で製作スタッフとして働くという生活を23歳から10年間くらい続けました。
そこでは先生が「こういうの作りたいんだよね」とデザインしたものをスタッフが型を起こして、また別のスタッフが製作するという流れで、タイルとか石とか木材とか鉄とか、いろんな素材の扱いを覚えました。

─────永田さんの作品は陶器と異素材との組み合わせが巧みで、いろんな引き出しを持っている方だなぁと前から感じていましたが、そこでの経験が生きていたんですね。

手芸屋さんやホームセンター、100円ショップなどに行くといつも「これ、何かに使える」と考えちゃうんです。そういうことを考えるのが好きなんでしょうね。
ただ、そのデザイン事務所では製作すべてが分業で、どこか途中で自分の手を離れてしまう。自分にはそこが合わないなと感じました。私は最初から最後までを自分の手で作りたい。全部を自分が完成させたという達成感や喜びがあるからこそ頑張れると思うんです。
それから、事務所の先生が言っていたのは「いいものが売れるとは限らない。売り方次第なんだ」と。確かに売るために戦略が必要であることは理解できますが、私はほんわかと「いいものを作り続けていたら誰かが認めてくれる、いつか日の目を見れるんじゃないか」と思っていたし、それが理想でもあります。 

永田さんの異素材組み合わせのアイデアが生きている「トナカイ」。ツノに合う小枝を探しに夜な夜な公園に出かけ「我ながら怪しい人だった(笑)」とか。